ある方にすすめられてはじめた朝の散歩。
歩きはじめてみると、どんどん歩きたい気持ちが膨らんできている。
この数日は出勤する夫と駅まで、そこで別れてわたしは一人で川沿いの道へと向かうコース。川沿いに幹の立派な桜の木がずらっと並んでいる。途中の小さな公園には少しコミカルなフォルムのバネで弾む遊具が置かれていて、その眺めも合わせて好ましい。
川の対岸にはちょうど通勤時間で車の長い行列ができているけれど、川を挟んでしまえばあちらの日常は別の世界のように感じる。川とは不思議な場所だ。
昨夜からの雨が今朝もまだ降り続いていて、今朝は夫との散歩は見送って、雨が上がったタイミングにいつもの川の下流に沿って歩いた。
在原業平が一句詠んだほどに紅葉が美しい川として有名だけれど、それ以外の季節も緑が多くて目にはうれしい道。目にはうれしいというのは、歩道が車道と接近していて、交通量も多い道なので騒音がひどいから。耳にイヤホンを突っ込んでロードムービーを楽しむように歩くのがお気に入り。
この数日の雨で草木はたっぷりと水を吸い上げて瑞々しく、それはそれは満たされた様子に、こちらも自然とほほがゆるむ。そうして吸い上げられた水の力にうんと伸びをするように押し出されたかのように、小さな新芽がそこここに一斉に芽吹いていた。
それを見ているとつい数日前に生まれた弟夫婦の赤ちゃんの手のひらを思い出した。生まれたいと望むのか、何かの力に押し出されてきたのか、いのちを動かす力の神秘だな。
わたしも同じちから、それはかがやきとも呼べるものに満たされてここにいる、ということを充分に味わってルンルンで帰宅した。
”「満足」って足が満ちるって書くでしょう”、と散歩をすすめてくれた方が教えてくれたこと。その言葉を胸に、時間でも距離でもなく、足が満ちるまで歩く、わたしの朝さんぽ。