毎年庭にどんぐりがたくさん落ちる。
そう書くと、なんだか森の中に家があるかのようだけれど、残念なことにそういう訳ではない。我が家の庭は少し変わっていると思う。おそらくこの辺りの山を切り開いて作られた住宅街の一角の裾野に位置するのかしら。西に向かって途中で土の地面が終わってその先はコンクリートに変わり、小川に向かって張り出していて、土台は鉄筋の柱で支えられている。その下が斜面になっていて小川の際の日の当たるエリアにジャングルのように竹や草木が茂っている。(そう、あちこちに野放図に枝を伸ばし、いい雰囲気とかでは全くない…)
住みはじめてから気付くとジャングルからにょきにょきと何かの木が茂りはじめ、あっという間に薪小屋の屋根を超えて大きくなった。そばに寄って下から見上げると、木に包まれるようで居心地がいい。
その木が毎年どんぐりを落とすのを特に気にもとめていなかったのだけれど、ふと、そう言えばこれは何のどんぐりだろうと気になった。
どんぐりの宿命なのか、ひとまとめに”どんぐり”とすまされてしまうことの多い存在だけれど、たくさんの種類がある。ただ、見分けるのが難しいものもあるし、”どんぐり”っていう響きところころとしたフォルムは可愛くて、秋に拾うたのしさも相まって、それ以上に追及されない存在のように思う。どんぐり見っけ!で満足しちゃうのだよね。(わたしだけ?)
ということで、我が家のどんぐりっこ、結果から言うとアラカシのどんぐり(おそらく、9割がた多分!)と判明。以前、イチイガシじゃないかと言われた記憶があり、図鑑を見たり、ネットで調べたり比較してみた。
『葉でみわける樹木』(林将之 著/小学館)によると、アラカシの葉は卵を逆さにした形で、先半分に鋸歯があると書かれていて、イチイガシも先半分にだけ鋸歯があるが、葉はより細長く、裏面に褐色の毛が密生するらしい。
どんぐりにも特徴があって、イチイガシは実の上部に毛が密生していたり、殻斗(かくと)が深い盃型だったり。その点を踏まえても、きっとこれはアラカシだろうな~と確信を持っている。
となると、次に思い浮かんだのはアラカシのどんぐりは食べられないか?という疑問。
スダジイのどんぐりなんてそのまま食べられるし、アラカシはどうかな~と調べてみたら、食べられなくはないが大変なあく抜き作業が必要とのことだった、残念…。でももしも、万が一のときのために頭の片隅に食べられる食材としてメモしておこう。
こうして書いていて思い出したのは先日の甘樫丘での森林浴のときのこと。その時も道々にどんぐりがたくさん落ちていて、韓国出身の方が「韓国ではどんぐりで作った豆腐があるんですよ~」と教えてくださった。興味津々だった割にプログラムを無事に終えることに気を取られてすっかり忘れていた。こちらも調べてみると、トトリムクという名前の豆腐らしい。コナラやクヌギのどんぐりをあく抜きして粉にしたもので作るそうだ。粉を買えば自分でも作れるようだけれど、できあがったものを一度食べてみたいな。どんな味だろう。韓国料理屋さんに行けばあるのかな、鶴橋に行く機会があれば探してみようとこちらも頭の片隅にメモ。
きっと太古の昔は貴重な食料だったにちがいないどんぐり。そう思うと、この時期あちらこちらに食料がたくさん落ちているというわけなのだなぁ。ヒト以外の生き物たち、どんな風に食べられているのか、こちらもまた興味深いトピック。
今、2本は確認できるアラカシ、お手入れをどうするのか問題はあるけれど、私としては木立のように茂ってほしいなという想いがある。木々が風にわさわさと揺れる様子や音は今でも十分に癒されるものがあるけれど、さらに林のような雰囲気になったらいいな。時に手入れをして、それを薪として使えたら最高じゃないか、と妄想をふくらませている。たくさん落ちたどんぐりたちに想いを託す。
庭が好き。庭があるとたのしい。
季節の移り変わりを感じてただぼんやり過ごしたり、野菜を育てたり。庭で土に触れるとなんとなく元気になる。
整然と整えられた庭よりもどこか大らかさを感じる庭がいい。自然に生える草もあり、野菜や果樹や花が育ち、虫や鳥たちもやってくる… ヒトはくつろぎ生き物たちはにぎやかな、そんな庭を夢見つつ。
手と体を動かすより、ぼんやりする時間の方が長いナマケモノの庭の愉しみを綴っています。