9月も半分過ぎて、まだまだ夏の空気が色濃く残る季節のはざま。友人たちと吉野を訪れ、ふらりと訪れた川上村の御船の滝で、夏の終わりの楽しい思い出ができた。
突然やってきた地元の友人家族。おいしいドーナツやヴィーガン料理を作る彼女、吉野でのイベントに出店するらしい。その翌日に吉野で待ち合わせをして会うことに。道々、車を走らせながら振り返ってみると、最後に会ったのはコロナ前?そんなに?と驚くけれど、やっぱり4年ぶりだった。ひとしきり再開を喜んで、あっという間に馴染むわたしたち。合わない間に生まれたボーイは、友人に似て人見知り。一緒に過ごすうちにだんだんと距離が近くなっていくのがうれしかったよ。夜になる頃には手をつないで遊んでくれるようになった。
自然大好き、朝から川でひと泳ぎすませた3人と近くの滝を探しに行くことに。
旅と出店の荷物がぎっしり詰まれた車に乗り込んで、わたしも旅の雰囲気にまぎれ込む。お互いの近況を話しつつ、吉野の風景を堪能しつつ。そんなこんなで滝の入り口の井氷鹿(いひか)の里に到着。アマゴの釣り堀があって、釣りをしている大人や子どもでにぎわっていた。
その先の道は狭くて、進んでも大丈夫かな?と心配になる。冬になるとこの先は車両通行止めになるらしい。凍った滝が名物らしいけれど、2キロほどの道を歩いていくしかないみたい。ずっとゆるやかな登り、3時間ほどかかると書いてあった…。
ゆっくり車を走らせて登っていくも、対向車とは一台もすれ違わず。木々の影、木立の中は涼しくて窓から入ってくる風をたのしむ。道の下に流れる川は澄んでいて、清涼な川の風景にのびのびと深呼吸する。
そんなこんなで御船の滝に到着。入口に熊注意の喚起がされていて、手を打ったり大きな声を出したりしてから入っていく。道はあるけれど、いわゆる自然の山道、少し歩いていくと水場がひとつ。手をつけると冷たくて気持ちがいい。小さな魚が泳いでいて、ハヤだろうか、なんだろうかと話したり。
更に奥にすこし歩くと滝へ到着! おー!と圧倒されて思い思いに眺める。滝ならではのドードーと水が流れ落ちる音と振動、滝つぼから吹き上げてくる風は冷たくてすこし寒いぐらい。急に空気がクリアになったような清涼感。マイナスイオン最高。ほんとうに気持ちがいい。
身軽なGくんが滝の近くまで行くと、近くの岩のすみっこ、ちょうど滝からのしずくを受ける位置に大きめのカエルがいるのを教えてくれた。まるで修行僧のようにじっと動かずに滝を浴びている。
すこし上に東屋があって、そこからも滝を見られるようなので上がってみると、下から見上げるのとはまた異なる眺めに沸き起こる想いもさまざま。この水はどこからくるのか、滝のはじまりはどこ、見えそうで見えないその場所を想像してみることは、どこか人には到底解明することのできない偉大な自然の神秘へと分け入っていくような気持ち…。きっと歩いていけばたどり着くことができるけれど、今はただ想像するだけ。この瞬間に見えなくても全てのことが動いている、生きている、息をしている、いつもどんな時もそう、けれど周りに自然しかない場所に身を置くと、そのことが急にリアルに感じられてそして圧倒される。
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滝を後にして、下市町に7月にオープンしたばかりのKITOへ行き、ほうじ茶のソフトクリームを4人で食べた。ほうじ茶の香りがしっかり感じられて美味しかったのでおすすめ!
廃校になった施設を利用していて、体育館に迷路があったり本があったり、外には遊具があったり、大人も子どもも楽しい場所でした。わたしも久しぶりにのぼり棒(というのか?)に挑戦。なかなか登れず二度目のチャレンジでなんとかてっぺんに。体って重たいなぁ…と実感したのでした。
友人たちと夜ごはんまで一緒に食べて、たのしい時間はアッという間。次は間を置かずに会いたい。驚いたことに夕方頃から喉がかれて声がかすれていた。普段どれだけ喉使ってないのー、と我ながら苦笑。それだけたくさんおしゃべりして笑ってとってもたのしかったということ。
そして大切な人たちとひととき過ごして、すごく新鮮なエネルギーを満たしてもらったなと感じた。
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帰宅して何度もたのしかった記憶を取り出して味わっている。一緒に滝に行った友人たちと星野道夫さんの話題になって星野さんが東京の電車の中で北海道のヒグマに想いを馳せるくだりを思い出した。
こうしている瞬間にも滝は流れ森の時間は流れている。
当たり前のことだけれど不思議だなと思うのと同時にどこか安心な気持ちになるのは、ヒトの時間だけが全てではないと思えるからだろうか。