毎日暑い、暑いのはなぜ

日曜辺りから猛烈な暑さ。湿度が高くて気温以上の不快感。
今朝も9時の時点で既に30度を超えていて、何度もねこたちに「今日も暑いね」と同意を求めるも返事はなく。でも床にぺったり伸びているのを見るとやっぱり暑いらしい。


年々厳しくなる暑さ、一昨日の九州北部での大雨の被害。
また、地元の近くで被害が起きた。なじみのある風景が水に浸かったり、崩れたり。それを見るだけで気が重たくなって、これから復旧に時間もお金も労力もかかるだろうに、それを見るのもまた辛くて、でも離れているから目の当たりにしなくてすむことに、罪悪感を覚えて自分を責めたり。被害にあわれた方へのお悔やみさえわたしはもう言わない。言えない。そう思ってしまう。
そして毎年あちこちで同じような大きな災害が起きることが夏の前提になってしまっていることにまた力を奪われるような気持ちになる。

目の前で起きていることへ取り組むことがまずは先決として、でも問いたい。
なぜこんなに毎年大きな災害が起きるようになったのか、なぜこんなに夏が暑くなってしまったのか。
もちろんそれは気候変動による影響に決まっているのだけれど、これだけ毎年災害が起きているのになぜかこの国ではほとんどそのことが語られることはない。そのことが不安で大きな疑問と怒りも感じる。

これまでとは違って場所に関わらずに被害が起きることが増えてきて、でもそうは言ってもやっぱり災害が頻発するのは同じような地域で、土地や地形の影響で災害が元々起きやすいところがより危険にさらされていく。そしてそれは不公平ではないのだろうか?と今回さすがにそう思ってしまった。

自分本位なことだとは分かっている。日本に暮らしている時点で、わたしの二酸化炭素の排出量は世界的に多くて、それを思うと自分のせい、自業自得と言われても受け入れるしかない。
それでも、でも、全員が平等に同じように被害にあうわけではないのだよね、と今回身に染みて感じた。そして、自分たちはほとんど二酸化炭素を排出してないのに被害にあう、発展にもブレーキをかけられると感じている世界にいる人たちへ、本当にひどいことだよねと今更ながらに思い至り、そして想像力の至らなさを恥ずかしくも思った。

もう個人のエコライフや省エネでは気候変動の危機を止めることは間に合わないと言われるようになって(だからと言ってやらなくていいってことではない、それも必要なことだしこれからの未来の暮らしを模索するためにも大切)、影響力の大きい政策的な変換が今すぐにでもなされる必要があると思うのだけれど、わたしたちが選んだ政治家はトンチンカンで全く頼りにならない。あぁ腹立たしい。
そうして夏が終わっていくと、文字通り喉元過ぎれば熱さを忘れるように、この暑さも災害の被害も、ひと夏の苦い思い出として記憶されていくのだろう。
起きている現実に、変わりそうにない現実に、何もできないように感じる自分自身に落ち込み、落ち込んで、でも生活を、声をあげることをやめるわけにはいかない。

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