三島由紀夫の『潮騒』を読んだことはない。”恋人の聖地”と言われると逆に避けたくなる方。そんな神島へ急に思い立って夫と二人で出かけてきた。
志摩半島の鳥羽佐多浜港からフェリーで40分ほど。対岸には渥美半島を見渡す小さな島。秋にはアサギマダラやサシバが渡っていくのが見られるらしい。
実は10年以上前にも来たことがあって、そのときに双眼鏡を手に熱心に鳥を見ている人がいた。今思うと秋の頃だったしあれはサシバを見ていたのだろう。
そんなこんなでいいところだったね、と2人の中にぼんやり記憶が残っていて、急に行ってみよう!となったというワケ。
ちょうど立春の候、つい最近までの猛烈な寒さも遠くへ去って、暦通りのような春の兆しに満ちた一日だった。
遠くまでおだやかに広がる青い空とキラキラと光る水平線、青々と茂る樹々の多い明るい森の中は季節も時間も時代も止めてしまうかのような空気。
海岸線では力強く岩にぶつかる真っ白な水しぶきや音のダイナミックさを感じながら。”あぁこの音が潮騒だ”と普通に生活していると出会わない風景と単語が結びついて意味を成す。
途中の監的哨跡でベンチに座って休憩していると、夫がおもむろにリュックの中からレモンサワーの500ml缶を出したのには驚いた。いつの間にこの人は!のんべえというのはどこまでも貪欲で、ある意味感心するというもの。
一口、二口、わたしも飲んだらこれがいけなかった。その後の登りの階段でのからだの重さとだるさと言ったらもう。さすがの彼も”間違えた”と言っておりました。
ぐるりとゆっくり、あちこちで景色を見ながら歩いてもフェリー乗り場まで戻ってきて2時間少し。こう書いてみると改めて島の小ささが分かる。自分が暮らすところが歩いて把握できて、その先は海というのはどんな感じなんだろう。外への憧れが強いのか、根付いた安心感が勝るのか。島というのは近くても遠くて、そしてなぜかわたしが引き付けられるところでもある。
記憶の新鮮なうちに『潮騒』を読んでみようかな。